短い、簡単。なのに、最強の言葉「ありがとう」

ちょこっとコーヒーブレイク

 「ありがとう」と言われると嬉しいですよね。

 短いけれど、心を豊かにする最強の言葉だと思います。

映画館での出来事

 先日、ロビー内のソファーで、上映開始時間を待っていた際の出来事です。

 前の映画が終了して、見終えた客がちらほらと出て来ました。そのお客さんたちに向かって、映画館のスタッフが「ありがとうございました」と声をかけていました。これは、お客さんに向かって行われる普通の光景です。

 ほとんどのお客さんが、その声に何も反応せずに、映画館をぞろぞろと出て行きます。

 と、その中で、品のありそうなある老婦人が、スタッフに向かって、「ありがとうございました」と笑顔で言葉を返されました。その言葉に、スタッフの声のトーンが上がり、「またいらしてください!」と老婦人に明るく声をかけていました。

 他にも「ありがとう。とても面白かったよ」という男性のお客さん1人。スタッフはとても嬉しそうに会釈していました。

 「ありがとう」の一言で、人の心を豊かにした瞬間です。たった、それだけの一コマでしたが、スタッフとお客さんの間で起きた豊かな空気感がこちらにまで波及して、とても心地よくなりました。

「すみません」より「ありがとう」

 誰かに何かをやってもらったとき、「すみません」と言う方が日本人には多いらしいです。

 このすみませんは、純粋な謝罪というよりは、感謝の気持ちも含んだ「(ごめんどうおかけして)すみません(どうもありがとうございます)」の意味が含まれているという説があたっているかなと思います。

 申し訳ないという気持ちと感謝の気持ちを「すみません」で表することのできるとても便利な言葉なので、ついつい使ってしまう方が多いのだと思います。

 「ありがとう」と「すみません」の日本語の解釈は他にお任せするとして、どちらが、いいかというと、巷では、「すみません」より「ありがとう」がいい。という意見が多いですね。

 私も「すみません」よりは「ありがとう」と言われたいですね。

 例えば、自分が言われた状況をイメージしてみるともっとわかりやすいと思います。

 エレベーターに乗り合わせた人を先に降ろしてあげたときに「すみません」。物を拾ってあげたときに、「すみません」。席を譲ってあげたときに「すみません」……

 謝られている感じがして、「 ありがとう」と言われるより、すっきりとせず、あまり嬉しい気分にはなれないのでは。

 そう感じるのは、「ありがとう」は、親切にしてくれた相手の労をねぎらい、その行動を褒めたたえている気がします。「すみません」は、親切にしてくれた相手のことよりも、どちらかというと、やってもらった自分を、「すみません」と先に謝っておくことで、最初から防御している感じがあるからでしょうか。

 つまり、「ありがとう」は相手がやってくれたことへ労をねぎらう気持ちが素直に表れており、相手中心なのに対し、「すみません」は、面倒をかけた自分を相手に許しを乞い、理解し、認めてもらうための言葉で、自分中心のように思えるからでしょうか。

「ありがとう」はやっぱり最強!

 私も、以前から、バスの運転手やタクシーの運転手さんに、デパート、スーパー、レストランのレジの店員さんに、料金を支払う際に「ありがとうございました」と感謝の気持ちを伝えています。

 特に、このコロナ禍、一生懸命働いてる方々のねぎらいの気持ち、感謝で、自然と「ありがとう」という言葉が意識しなくても出るようになりました。

 そして、言ってみて思うのは、「ありがとう」って言葉は、相手だけじゃなく、言った本人も、豊かな気持ちにさせる「言霊」があると思います。

 先程の映画館でのほんの小さな一コマでしたが、傍で聞いていただけの、第三者だった自分も豊かな気持ちになったのですから、やっぱり「ありがとう」は最強の言葉なんだと改めて思いました。

 映画を見終わったら、私も、あの老婦人のように、スタッフの方に「ありがとうございました」と言いたい。そう思って観たのが、先日、感想を述べた、映画「どん底作家の人生に幸あれ!」です。

 今思うと、「どん底作家の人生に幸あれ!」が心に響いたのは、もしかしたら、老婦人のあの「ありがとう」効果のおかげだったのかもしれません。

コメント

タイトルとURLをコピーしました